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緋色の平穏 Ep7『大恋上9』

「あん? まだそんな目する余裕があるってわけか」
 どうやら俺の態度が気にいらなかったらしく、真紅の刃はまた俺に向けられた。
 そうだな、いつまでも寝ちゃいられねぇ。
 こんなに楽しいんだ。その時間を床で過ごすなんて、勿体無い真似している場合じゃないだろ。
「もう止めろ!」
 腕に力を込めて上半身を起こす。俺が立ち上がろうとしている最中に、誰かが庇うように俺を抱きしめた。
 抱きしめた奴は、そのままの格好で一方的に真紅へ戦闘の終了を中止させる。
「おいおい、もうこの勝負に獅童は関係ないんだよ。いいからどけ」
「もういいだろ! 早くしゅーを病院に連れていかないと」
 とても懐かしい響きの呼び名。希咲は昔、俺のことを“しゅー”と呼んでいた。
 本人は気付いてないだろう。それくらい必死に見えるし、普段の体裁も無く叫んでいる。
「まだ決着は付いてねぇよ」
「誰がどう見たって、お前の勝ちだ。恋人でも何でもなるから、もう止めてやってくれ!」
「……っち。どうするんだよ修一。希咲に免じてここで手打ちにしておいてやろうか?」
 止めてやってくれ? 手打ち? 馬鹿にするのもたいがいにしろよ。
 ああ、あいつが目覚めだしたな。どいつもこいつも俺の感情を加速させるから、もう“そこ”まで来ちまったじゃないか。
「離せ。邪魔だ」
 俺は希咲を引き剥がし立ち上がる。
 邪魔なだけじゃない。こいつも戦いを汚し、侮辱した。
 痛みより怒りが先行し、破壊衝動が俺の内で暴れ出す。
 俺の奥底で厳重に何重にもかけていた鎖。そいつらにひびが入り始め、魔物が涎でぬらつく牙を見せる。
「しゅー、もういいから治療をしよう」
 それでも希咲は、俺のバリアジャケットを掴んだ。何が何でも制止させようと縋り付き、頬からは一筋の涙が流れていた。
 こいつのどこが剣士だ、くだらない。矜持もない、見届ける覚悟も無い、さっさと消え失せろ。
 情に訴えかけたいのか? そんなもので縛っても、魔物は喰いちぎるだけだ。
「そんなだから、お前はあの時死にかけたんだ」
 その一言で、希咲が凍り付いた。
 あの日、一0年前。希咲が引っ越す一週間前にやったお別れの戦い。
 誰もいない広場で、竹刀ではなく木刀まで持ち出して。
 初めて希咲と戦った日以来、俺は負け続けた。だから俺は、最後の最後に剣士の意地を見せようとしたんだ。
 その結果、それが唯一の無効試合となった。
「あれは…………」
 弱まった希咲の腕を払い、真紅に視線を戻す。
 早くしないと鎖が保たない。完全に鎖が千切れては、真紅を生かして帰させてやれなくなる。
「待たせたな」
「言葉はいらねぇ。再開だ」
「ああ、すぐ行く」
 歩幅も歩調もとくに意識せず、真紅に向かい歩き出す。
 右手の虚も構えず下ろしたままに。
 身体に力は入っていない。ただただ無防備。
「お前、何のつもりだ?」
 真紅の言葉の棘のある声。しかしそれは俺の不可解な行動による怒気だけではない。
 真紅はうろたえている。
 さっきまでの激情をいきなり捨て去った俺に。
 なんの警戒も持たずに鉄火場へ入ろうとする俺に。
 そんな俺なのに、真紅は怯えた。
「隙だらけになって油断を誘おうって腹か? わりぃがそんなの通じねぇぞ。間合いに入った瞬間俺の恋で燃やして斬る」
「それでいい。俺もそのつもりだ」
 虚の刃が魔力光の緑ではなく、黒へと変わる。
 文字通り全てを吸い込む漆黒に。
 剣を持つ手には魔力を浸透させて、準備は完了だ。
「ははは、そりゃいいぜ。ずっとカウンター狙いだったお前が、正面から斬り込むとはな」
 この局面で真紅の口数が増える。
 次で決まるかもしれない、そんな終わりが近付いてるのに喋ってる理由なんて一つだ。
「楽しい。楽しいぜ。たまんねぇよな、こういうの。さぁもう少し、後少しだ」
 真紅恋馬は、真剣勝負の圧力に負けている。早く解放されたくてしょうがない。
 やはりあんたも、表の人間だったな。それじゃあ二流だ。
 間合いに、入った。
「っしぇあぁ!」
 魔力が加えられ、火炎が乗った渾身の刃が、真紅の気合いと同時に俺へ見舞われる。
 俺はただ横に虚を振るだけ。魔力が溜められ逆に脱力した腕は、それだけで鞭のようにしなり速度へ特化される。
 触れた瞬間に行為は行われた。
 力みはいらない。これは斬っていない、偽物の行為。
 偽物でありながら、本物を上回る行動。
 俺の刀に刃はいらない。俺自身が、刃だから。
「嘘だろ!?」
 真紅の刀は、炎と魔力もろとも根本近くから切断された。
 わずかな抵抗も許されない、一方的な蹂躙。
 完全に予想外の展開に真紅は止まる。それはあまりに致命的な隙だ。
 振り切った腕を返す。刃ではなく、柄で掠めるように真紅の顎を打った。
「え……?」
 力無く、真紅が膝を着いた。立とうにも膝に力が入らないはずだ。
 脳震盪。顎への一撃で脳がシェイクされて平衡感覚を失調した。無理に立とうとしても、すぐに転げる。
 俺は真紅を見下ろしながら虚を両腕で掲げた。虚数刃は解除されて、緑の刃に戻っている。
 ここからの攻撃は切断が目的ではないからだ。ただし、非殺傷でもない。
「ま、待て!」
 真紅は腕で頭を覆うように守る。残った柄と刃だけでは防ぎきれないからか、それとも理解不能な現象が続き、よほど混乱しているのか。
 どちらでも、俺が行使する力に変化はない。
「しゅー、それ以上は駄目!」
 俺が虚を降り下ろす直前、希咲の声が聞こえた。そして、あの時の場面が俺の脳裏にフラッシュバックする。
 頭を庇った真紅の腕に虚を叩きつける。
 木刀を希咲の頭に叩きつけた。
 骨が腕を突き破り、真紅は床を動物みたいにのたうち回りながら奇声を上げる。
 希咲は頭から血を流して静かに倒れた。
 強者を相手に。
 希咲を相手に。
 破壊欲を解放。
 破壊欲を解放。
 とても楽しい。
 とても楽しかった。
 これが俺だ。
 これが俺だった。
 俺は無表情に真紅を見下ろす。
 俺は静かに希咲を見ていた。
 止められない。止めたくない。
 止めたいと思った。けど、剣は捨てられなかった。
 俺の内に棲む獣が吠えるから。
 俺の内に棲む獣が吠えたから。
 だが――
 だから――
「目か、耳か? それとも鼻か?」
 だが、俺の獣はまだ鎖の内側にいる。
 真紅は強者だった。だが死線を潜ってはいない。
 その差が、俺へのブレーキとなった。
 そして生かして帰すのならば証明してもらう。俺の強さを。
「ぐがあぁぁ、お前……まさか」
 痛みに悶えながらもなお、真紅の顔はその名に反して青くなる。
 趣旨はわからなくても、意図はわかったらしい。
 恥を晒して生きろ。お前よりも強者の存在を示すために。
 お前が俺の看板となり、抉られた傷でもって示せ。
「選ばないのなら、俺が勝手に決める」
 刃を黒く染め、標的を選ぶ。
 自分の愛刀を葬った漆黒に真紅は恐怖し、抗った。肉体の消失を拒絶して、折れていない腕で床を這い逃げる。
 脆い抵抗だ。つま先で折れた腕を蹴れば短い逃亡劇は終了。
 また形容できそうもない声と共に転げて仰向けになったタイミングを見計らい、血液まき散らす腕を踏みつけてその場に固定させる。
 そうだな、せめて情けでさっさと終わらせてやろう。
 そのためにも落としやすい耳をもらおうか。
「あまりヘッドバンキングすると命までこそぎ落としちまうぜ」
 警告はしてやったが、聞き分けのない餓鬼みたいに振り乱す頭は止まらない。
 所詮言葉だけで外すつもりはないのだが。
 刃を床に向け、柄を両手で握る。
 そこで、血と涙と鼻水を撒き散らす真紅と目が合った。
「うううぎえエアあ嗚呼あぐあああげええうグあしゃえあああ!」
 それは声であり音でもある。
 真紅恋馬という人間が破壊された、心が折れる音。
 どこを欠損しなくても、もうこの男は戦えない。
 奪う側からすれば、そんなものは関係無いのだけどな。
「それじゃ、耳をいただく」
 力を抜き、虚にて真紅の一部を削ぎにいく。
 しかしその行動は、首筋で寸止めされた金属に邪魔される。
 その冷たい光が、俺の熱を少しだけ冷ました。
「そこまで、勝負有りだ。もう真紅恋馬は戦えない。これ以上やるなら、私が代わりをつとめよう」
 騎士甲冑に身を包むシグナムさんが、俺にレヴァンティンを突きつけている。
 口出しはしても手を出さなかったシグナムさんがここで実力行使にでるとは、どうやら少しやり過ぎたらしい。
 時空管理局との戦闘は輪廻さんより禁じられている。
 楽しい時間は終わりのようだ。
「管理局への連絡は私がする。お前の怪我も軽くない。せめてそこの水で冷やすなりして休んでおけ」
「そうします」
 バリアジャケットとデバイスを解除してみると、案の定体中火傷だらけだ。特に腕は酷く所々焼け爛れている。
 出入り口がある側の壁際に置いてあるペットボトルを取り、腕に降りかける。
 昼休みに分けてもらったものの残りだろう、中身の残量もあれから変わっていない。
 常温で放置されていたためあまり冷たくはないが、熱を持った腕には心地良い。
 炎に炙られたために喉も渇いているので、飲み水にもしつつ重度の火傷に見える部分を重点的に、水浴びした。
「怪我、大丈夫か? 大丈夫なわけないよな、すまない」
 希咲が俺の様態を気にかける。ついさっきの出来事に対する反動があるので、距離は置いているが心配そうな眼差しは嘘じゃないだろう。
「心配すんな。これくらい日常茶飯事だ」
 命がけの任務だってそう珍しくない組織に身を置いている俺からすれば、慌てるような傷でもない。
 冷やしたところで気休め程度だろうが、美羽がならばこの程度すぐ完治させてくれる。
「あ……う」
 すぐに会話が途切れ、希咲が俺と床に視線をさまよわせた。
 いつの間にか立場が逆転している。だけどもう俺にはどうでもいい。
 今度こそ、袂を分けただろう。それぐらい俺と希咲の世界は別物だ。
 しかし、それで終わらないのが希咲の気丈さだということを、俺は忘れていた。
「私も、いつかお前に挑む! 今の私じゃお前に勝てないし、魔法とやらもきっと使えない。それでも私はお前に勝ってみせる」
 それは叫び。希咲が振り絞れる虚勢で、勇気だ。
 この叫びがあいつの魂なのだろう。
 しっかり俺と目を合わせたまま、希咲は続ける。
「絶対に私が勝って、約束を果たしてもらう」
「約束……か」
 ガキ二人がやらかした決闘ごっこのはずだった、お別れの喧嘩。
 終始優勢なのは希咲だったが、最後の最後互いが放った決着の一撃。
 希咲は寸止めし、俺は当てた。
 そうして希咲は意識不明。病院に運ばれ、俺はあらゆる大人に怒られ、剣道を辞めた。
 剣道が嫌になったんじゃない、俺の剣は心を鍛えるためにあるんじゃなくて、敵を倒すためのものだと気付いただけだ。
 だから俺は、剣の道から逸れても剣を握っている。
 あの決闘には負けを認めた方が、一つだけ命令を聞かねばならないという約束があった。
 結局どちらも負けは認めていないから無効試合として、俺は扱っている。
 当時俺が勝ったら、またいつか必ず再会して、もう一度戦えと言うつもりだった。
 今ならばもう俺と関わるな、になるな。
「そして、そして……お前みたいな危ない奴は、ずっと私のそばにいてもらう!」
 一際大声で、希咲は俺へと自分の命令を宣言した。
 それは、真紅を介抱しつつ念話しているはずだろうシグナムさんも、驚いて思わずこちらを向いたほどだ。
「好きにしろよ」
「ああ、好きにする」
 どちらにしろそんな約束は無駄なんだよ。
 お前が無駄に抱く感情が憎悪でも、まずあり得ないだろうが愛情だとしても、俺には届かない。
 剣術家として敷いていく俺の道は、誰とも違い続けている。
 交われば相手のレールは壊れるから。時に相手の線路がそこで終わりもする。
 でも、そこにあるのは孤独ではない。誇りと矜持でもって、俺は俺の道を歩んでいく。
 トルバドゥールという広大な大地だけが、俺を拒まず走らせてくれる。そしてこれからも、俺は走り続けていくのだろう。
 俺が敗れ、朽ち果てる日まで。

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