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サイキックハーツ 『無常拓馬のとりとめもない遺言状1』

 俺は人生の多くを一人で過ごしてきた。
 独り、ではなく一人だ。
 別に天涯孤独というわけではなく、友達がいないわけでもない。必要とあらば連携をとった行動も普通にする。
 ただ、誰かにもたれ掛かって生きようとは思わなかった。自分の足で立って歩こうと思って生きてきた。
 支え合って生きている人は強いという言葉をよく聞くけれど、支えなく一人で生きていける人間の方がよっぽど強い。
 一人をそのまま孤独と結びつけるのは、そう考える者が支えられることに依存しているために他ならない。
 仲間はいたっていい。けど、それは頼る相手ではなく、並ぶだけの存在だ。
 それだけでいい。それだけがいい。優しい言葉や励ましというものは、他人事くらいが丁度いいのだ。
 頑張ってと言われて、「もう頑張ってる!」と反発する馬鹿にはなりたくない。

 そういった人生を歩んできた結果、俺はこれまで人に何か有益な物を残したことがない。まずその相手がいないのだから。
 しかし、そんな俺にも例外ができた。この文章そのものが、まさにそれだ。
 残す相手は暁紫乃。血の繋がった俺の妹だ。
 そもそもこの文章自体、機密性の高い情報のやりとり用に二人で取り決めた暗号化を施しているため、紫乃以外は読めないようになっているのだが。
 俺はそう遠くない未来、恐らくは数年のうちに何者かによって殺されると思う。別に今現在特定の何かに狙われているわけじゃなく、今の俺には死ぬ要因が多過ぎるためだ。
 その理由も追々書いていくつもりだが、恐らく俺が死ぬ時は、どこかに一人で打ち捨てられでもしているだろう。
 これを残しているのは、俺がそういった事態に陥った時のためだ。
 そう言う意味では、『残す』のではなく『遺す』というべきなのかもしれない。要するにこれは事実上の遺書であり、遺言状でもあるのだ。

 俺が突然消えたなら、自称『正義の探偵』である妹は、俺のPCから情報を漁り、俺の足取りを追うだろう。
 その姿は手に取るように思い浮かぶ。そのため、このファイルに書き込んでおくのは俺の死や行方不明になる可能性についての資料。
 それと、俺がこれまで出会ったダークネスに関する事件についての情報だ。
 情報とは俺達探偵にとっては、最大の武器である。これは言うまでもないことだ。
 俺はあいつに残せる財産なんて持ち合わせていないが、経験はある。
 これから先、紫乃は溢れ出る才能ですら追いつかない困難に出会うだろう。そして、暁の血が呼び込む因縁に追われることにもなる。
 その時、このファイルが恐らく役に立つ。
 紫乃は家出して正義の味方となり自由を得た気でいるのだろうが、あいつに絡んだ因果の鎖は時間と共に増える一方だ。
 そこで俺が死んだならば、鎖は一気にあいつの身体を締め上げるだろう。
 こいつに直接鎖を引き千切るだけの力はないが、鎖がどう絡まっているのかと、その解き方の一部をレクチャーしてくれるはずだ。

 ただ、俺の過去は結構面倒ごとまみれで、おまけに数年に及ぶ話になる。そのため、どうかいつまんでもとても一日で書ききれる量ではないので、時間のある時に少しずつ書き進めていくことになるだろう。
 おまけに俺の経験はこれからも積もりゆく一方だ。
 特に、武蔵坂学園に入ってからは、依頼として受けるダークネス退治の数が増えている。紫乃にとってもこれは同様であり、こちらの記述を後回しにすることもできない。
 こちらは困難への対処法という役割から、記憶の鮮度も重要になる。
 つまり、この記録は過去と現代が行ったり来たりするものとなってしまう。
 まあ、ある程度切り分けて書くつもりだし、紫乃のことなので、読みながら感覚的に上手く整理するだろう。
 というわけで、内容の自由度合いはちょっとしたブログレベルだと思っておいてほしい。

 それと、さっきこのファイルは遺言状と表記したが、別にこれを読んだからといって、書いてあることを必ず守る必要はないことを先に明記しておく。
 なにせ俺は置き手紙気分で書き残しているので、これを読んだ紫乃にどうこうしろと言うつもりもない。
 必要な情報だけを抜粋してまとめ直してもいいし、「なお、この文章は読み終えると同時に抹消される」と口ずさんでからデリートしようが構わない。どう扱おうとも自由だ。
 使い方を人に任せる遺言状とはいかがなものかと思わなくもないが、固定概念に縛られるのも好きではないし、どうせ使うのは俺じゃあないのだ。
 紫乃はこいつをとりとめもないメモの塊として使うだろう。実際使用目的まで多岐に渡っていて、その通りなのだから否定のしようもない。

 さて、前置きが思いの外長くなってしまったし、そろそろ始めるとしよう。
 とりとめのない、俺の遺言状を始めよう。
 最初はそうだな。
 紫乃の興味を引けるよう、俺が産まれてから、そして紫乃の産まれる前の話でもしようか。

 俺が何故殺されるのか。
 それを説明するために十年以上遡る必要は、実のところ絶対ではないし、紫乃も大まかな内容はわざわざ言うまでもなくわかっているだろう。
 しかし話は紫乃が産まれる前から根を張っており、要点だけ掻い摘もうとすると却ってわかりにくくなるので、おさらいも含めてここから書いていくことにする。

 無常拓馬――当時の暁拓馬は、産まれてから小学校に上がるくらいの年齢になる頃には、周囲から落胆の目で見られていた。
 全ては俺の才能に関することが原因だ。
 暁家は、裏社会ではそれなりに名の知れた殺し屋一族である。
 その歴史は数百年に及び、長きに渡り殺しの技術を継承されてきた。
 長い歴の中でそれなりに実績を残し、政界で国を動かす人物の中にだってお得意様が紛れている。老舗の殺し屋、それが暁一族だ。
 暁一族の特性として、安定したサイキックの遺伝を継承するというものがある。
 サイキックアブソーバーによってダークネスが弱体化する以前は、ほとんどの灼滅者はダークネスの手によって殺されるか、闇墜ちさせられていたのは紫乃も知っているだろう。

 ただし、何事にも例外はある。
 暁一族は、有名ながらに拠点を地方に起き、かつダークネス達との交渉や抗争を繰り返すことによって、その血を守ってきた。
 まあ、別に暁家以外にも殺しの技を継承してきた殺人鬼一族は多々存在するので、さほど例外として扱う必要もないのかも知れないが。
 それはともかく、この暁家にはもう一つ大きな特性がある。俺が長年煙たがられて育った理由もここにあった。
 暁家の灼滅者としての遺伝は濃淡が激しいのだ。しかも暁家は代々世襲制で長男が跡を継ぐ決まりとなっている。
 そして、次代を担うことになる予定だった俺は、才覚には恵まれない側だった。
 それでも今代のミスター無能王と呼ぶに相応しい、俺と紫乃の父親に当たる人物に比べれば、いくらかマシな方だとは言われていたが。

 俺が無能側だったのも問題だったが、さらに今の頭首が無能王だというのが大きな問題だった。
 無能王と、その無能な息子。
 二代連続の暗黒時代が確定したも同然だった。
 一族の親戚筋が騒ぐのもまぁ、やむなしと言ったところだろう。
 小さな頃から、俺の才能に対する小言はよく聞いたものだった。それについては、紫乃もよく知るところだな。
 幼少の頃の俺は、皆の期待に応えようと努力をしていた記憶はあるものの、それが成功したり報われたりした覚えはない。
 むしろその結果が、落胆や同情の目だったのだろう。
 今思えば単純な悪循環だったのだが、純粋に頑張るだけの拓馬少年はそれに気付くだけの知能はまだない。そのために、頑張れば頑張るほど否定されて俺は育ってきた。
 ただ一つだけ評価されたスキルがあったけども、他に比べて対して役に立たないものだったし、ここでは置いておこう。
 ともあれ、周囲からの俺に対する幼少期の扱いは、概ねこんなところだった。
 控えめに言ってもあまり心地いい環境ではなかったな。ただ、そういう扱いだったからこそ、周りには見えないものが俺には見えていた。

 そして、こんな不遇な成長期を経ていた俺に妹が産まれる。言うまでもなく、紫乃だ。
 当時、遊び友建のいなかった俺にとって、妹という存在は中々に魅力的な玩具だった。親はどっちも忙しい身であり、俺は訓練以外の時間を、結構な割合で紫乃の世話に割いていたように思う。
 俺達の世話をするメイドはいたが、妹にかかりきりな俺を、哀れむような目を向けていたのは印象的で覚えている。
 俺自身にそんなつもりはなかったが、自分よりもか弱い妹と接することで才能のない自分を慰めているのだと思われていたらしい。
 これは全くの思い違いで、勘違いも甚だしいと言える。
 俺はこの時にはすでに、自分の才能に対するコンプレックスはなくなっていたのだから。

 優秀だった側の歴代党首の英雄譚や、親戚、従兄弟達の活躍や実力を見せられても、幼少の俺には何がすごいのかどうも理解できなかった。
 今でこそ彼らにも一定の価値は見出してはいるけど、当時の俺はなんでこいつら揃いも揃って同じフォームで、似たようなことばっかりやっているのだろうという疑問が渦巻いていた。
 俺がそんなことも理解できないほど無能だったというのもあるにはある。
 けど、この疑問は今でも実は抱いているのには変わりない。
 最適化された技というのは無駄がない。
 そう評すれば聞こえはいいが、それはつまり、極めた技は皆似たような動きをしているということだ。
 それも殺し屋と限定すれば、その幅はさらに狭まる。同じ流派なら尚更だ。
 同じ動きに同じ技。そして、同じ弱点。
 一人の動きが敵に読まれたら、この流派は全滅してしまう。そんなに動きを追求するなら、どうして弱点を解消しようと思わないのか。
 それを、当時俺に技術を教えていた教師に聞いてみたこともある。

「どうして皆同じ動きをしなければならないのですか?」
「これが相手を仕留めるのに、最も効率の良い動きだからです」
「なら、その相手がもっと良い動きをしたらどうするのですか?」
「より無駄を削った効率の良い動きをすればいいのです」
「なら、そのもっと効率の良い動きより、効率的な動きをされたら?」

 という問答を繰り返して、最後は「まず、その動きがちゃんとできるようになってから言いなさい」と怒られた。
 子供のなんで、どうして、に怒って返すのはよくないと、どこかの育児書に書いてあったような。と揚げ足をとりつつ、俺も別のことでこんな問答されたら面倒で打ち切るだろうけどな。
 結果はさておき、この時に俺は確信を得た。
 人と同じ動きで勝てるのは、それで一番上手く動ける者だけだ。
 今の俺が補足するなら、体術はある一定のランクまで登ってしまうと、そこから上に行くには並々ならぬ鍛錬と才能が必須項目になる。世界ランクの陸上競技者が、コンマ一秒のタイムを縮めるのに命をすり減らしているのと同じ理屈だ。
 ここで勘違いしないで欲しいのは、俺は動作を極めることを間違いと言っているわけではない。
 戦闘という何が起こるかわからない場において、凝り固まって先を見ていない技術をありがたがって使用し、しかもそれに疑問を抱いてすらいないことが問題なのだ。

 そうした小さな環の中でしか強さを語れない世界を、俺は冷めた目で見るようになっていた。
 この『気付き』こそが、俺の心が加速度的に暁家と離れる要因になり、『暁拓馬』を『無常拓馬』に変える第一歩だった。

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